サカナクションファンである友人からLINEをもらったのは5月10日のこと。
「夜の踊り子がミーム化してバズってたよ」と。
私の友人はずーーーっとファンクラブに入ってるわ、毎年ライブに行くわを10年以上続けているガチファン=魚民でありますが、私は2017年からライブに行けてないので、もう9年も行ってないというライトファン。
ちょうど、ヨルシカの新曲『あぶく』がYou Tubeにアップされて、しかもMVの監督が擬態するメタさんだしで、ハマりまくってたときなので、「そーなんや、今頃『夜の踊り子』がねえ」程度の認識だったのですが、ちょうど今が請求書コメント作成時期でもあって、BGMに何を流しながら考えるかなというときに、ふっと思い出して、バズった原因等を知ってから聴き直すか、となったのが5月末あたり。
まず、サカナクションの『夜の踊り子』自身のことですが、曲自体は2012年の曲であり、14年前の発売。
ということは、今の中学3年生が誕生する前後・・・おぉ、そりゃあ私もおっさんとじいさんの間くらいになるはずです。
だって当時すでに学習塾の社員として、だいぶ熱く必死に働いていたし・・・。
サカナクションとして最初の名アルバムだと個人的に思っている『kikUUiki』のあとで、曲自体がそこまでサカナクションの中で高評価であったようには記憶していませんし、私自身の好き度合いでもそう。
東進ハイスクールのCMで『アイデンティティ』や『『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』』、さよエモこと『さよならはエモーション』などが使われていた間に、大阪モード学園のCM曲として流れていたように思いますが、それほど強い印象は無し。
さよエモの後には映画やドラマの主題歌として『ユリイカ』『蓮の花』、他にも『Aoi』『グッドバイ』など、その後に『新宝島』と、第一次サカナクション黄金期が始まったあたりの名曲だらけの中だったので、仕方ないと、個人的には思います。
(『夜の踊り子』がめちゃくちゃ好きな方には申し訳ないですが。でも、それなら初期の『白波トップウォーター』『三日月サンセット』『フクロウ』『夜の東側』等、ファーストアルバムに収録されている曲が浮かびます)
それが突然バズった、と。
で、調べてみましたら、なるほど、インドネシアの伝統的なボートレースの船首に立って踊る少年の踊りと重ねたらハマったという、過去に『新宝島』で起こったバズりと同類のものが流行った、と。
確かに、ややテンポのズレを感じるものの、あの踊り方の1セットと『夜の踊り子』の2小節がピタッとはまって、あの踊りのキレもあってフィット感が気持ちいいってわけですな。
このショート動画を最初に作った韓国人クリエイターの方、よく気付いたしグッジョブです。
これでまたファンの裾野が広がりそうで、喜ばしい限りです。
さて、やっと本題に入るわけですが、この「バズり」は、当然ながら、何もないところから突然産まれたわけではなく、「予備動作」があってこそのもの。
今回でいえば、曲があること、韓国人クリエイターさんがサカナクションのファンであり、インドネシアのボートレースで先頭の人が踊ることを知っていたこと、知るようになる流れを人生で持っていたことなどが噛み合った結果、バズが生まれたということ。
どれかが欠けても成立しないので、予備動作無しには生まれなかったバズといえますし、基本的に二番煎じ、三番煎じではない、ファーストペンギン的なバズは、いくつもの要因が重なって生まれますが、その偶然性が面白いわけで、バズろうバズろうと狙ってばかりでは今回のようなことは出てこなかったでしょう。
私はよく子どもたちに「準備が命」と言ってますが、定期テストであろうが、模試であろうが、入試であろうが、この先の人生において重要となるもの全てにおいて、予備動作にあたる準備こそが本命であると思っています。
その準備を、例えば楽器を演奏するのならば、普段からの練習であったり、また実際にギターを弾いて音を出すとなったら、「どのギターを使うのか」「エフェクターは?」「配線は?」「スピーカーは?(だいたい、そのスピーカーの使用に耐えられるだけの消費電力が現環境で可能なのか?)」、録音するのなら「録音機材は?」となりますし、ただ1音を鳴らすにしても、単に弦をはじくのではなく、その手前に一見、無駄と思える予備動作が入るものです(右手を持ちあげて、その間に左手はコードを押さえ、それから右手を下げてピックを弦に当てて音を出すといったような)し、楽器を上手に奏でられる方は、その音を出すための膨大な練習量、知識量等があって初めて結果を出せるもの。
スポーツでも何でもそうですね。
そして当然、勉強でも。
サカナクションのボーカル山口一郎氏が配信で仰っていましたが、「今こうやってさ、真剣に作ったらさ、作った曲だからこそああやって、なんか触ってもらえるわけじゃん。いいものを作り続けてればちゃんと報われる」というのは真だと思います。
だからこそ、勉強で結果を出せている人は素晴らしいし、かっこいいし、すげえなと思います。
それだけの過去の蓄積もあり、テストの前の準備もし、終わったらまた次のテストに向けて動き出しを上手に出来ているのですから。
そしてそういう積み上げがあるから、フッと数年後、数十年後の他者との会話であったり、仕事であったり、活かされる瞬間が現れて、「やってて良かった」とニヤリと出来る。
これは準備と努力をしてきた人の特権ともいえると思います。
逆に、勉強の出来ない人はこのあたりが徹底的にダメ。
十分な準備を考えると、中学生でいえば定期テスト1ヶ月前から動きださねばなりませんが、テスト前日になってようやく本腰を入れようという姿勢の子もいることでしょう。
それまでずっと学校で配布された問題集を教室に置きっぱなしにしてたり。
成績なんかいらん、悪くても良いというのならばそれで良いのですが、そんなことをしているくせに良い結果を求めるのであれば、あまりに感覚が鈍い。
周囲の子は過去にも何十時間の準備をし、今回の目の前のテストでも何十時間の準備をし、なんなら授業自体が定期テストの準備になると捉えて一生懸命普段から授業を聞いて集中し、ノートもとって復習もしているのに、10何年も生きてきて、まだその程度のことにも気付かないなんて、努力が出来る側からすれば、ライバルにすらならないので感謝が先立つほどの存在。
舐められても当然でしょう。
でも、そういうことがあると「バカにされた」といって怒る。
すぐに感情的になって、バカにされた原因がどこにあるのか分析することなく、少し経ったら忘れて遊んでしまう。
そういうタイプの子どもには、大人が「で、今日は何したん?先週は何を頑張ったん?先月は何が出来るようになったん?」と聞いてあげれば良いのではないかと思います。
本来、振り返りは自己分析の一種なので、自分自身で行わねばならないことではありますが、精神的に幼い間は日々を消費することだけで、なかなか積み上げを意識出来ないのは分かります。
ただ、それを周囲の大人が放置するのは違うかな、と。
そして、そのときにどれだけ大人が時間を使って管理出来るかも重要でしょう。
基本的に、精神が幼い間は特に安きに流れやすいものです。
私など、大人になった今でも、朝起きたときから「布団から出たくない・・・」なんてことは多々ありますが、それでは人の役に立たない、生活が出来ない、布団から出ない生活は引退してからにしようという理性がはたらくから仕事が出来ているということであって、理性的に抑え込んでいるだけです。
根っこは怠惰でサボりな自分自身です。
お風呂だけは逆に毎日入りたいので、風呂キャンセル界隈にはならないのですが、そういう性格というだけです。
でも、仕事でサボりな性質を出すと、子どもたちにすぐ伝わりますし、またそれが保護者さんにも伝わるので抑え込んでいる次第。
そして、そういう風に生きている人だって、そういう風に勉強している子どもも大人も、この世にはたくさんいると思います。
なので、結果を出せないことに対しては言い訳は出来ませんし、子どもの間は保護者さんが守ってくれますが、いつか社会の一員になったときに結果を出せていないと自分自身のせいなだけではなく、ときには自分に深く関わる大人たちを批判されることもありますから、そういうことを起こしてはいけない。
だから、理性的に仕事を行う。
大人は仕事であり、子どもは勉強であったり、将来なりたいものが強くあるのであれば、その職業に直結する技能やスポーツであるというだけで、どちらにせよ、今という時間は明日、1週間後、1ヶ月後、1年後、その後のためにどう使っていかねばならないのかを逆算し、使うべきリソースです。
その感覚を育て、中学ないし高校に進学させることが出来れば、私のしている仕事の価値も出るものだと思い、普段から子どもたちと接している次第です。
『夜の踊り子』の最後の歌詞、
今泣いて何分後かに言う
今泣いて何年後かの自分
笑っていたいだろう
人は、今を一生懸命生きても全てが報われることはないですが、幾ばくかは未来に繋いで、そして振り返ったときに「よくやったんやないか?」と自分をほめたくなる瞬間があれば、十分上手く生きたといえると思います。
子どもたちには別に勉強でなくても何でも良いのですが、少なくとも私がやっていることは塾屋のオヤジなので、勉強を通して少しでも多くの子どもたちに、一生懸命生きたことが後に繋がることを実感できるようになってもらえればと思いながら、日々積み重ねています。
20年後くらいに振り返る予定なので、そのとき笑っていられるためにも頑張って子どもたちを鍛えたいと思います。
で、余生を7年くらいで終えておしまい。
最後の7年は布団から出ずに過ごす日もあれば、貧乏旅をして遊び惚ける時間も作っていきたいと思います。
余生が長くなったり短くなったりしたときにはそのとき。
考えても仕方ないことは考えないようにして楽しみたいと思います。
そんな人生計画で頑張っていきたいと思いますので、あと20年前後のお付き合いを宜しくお願い致します。
上手くいけば、それくらい当塾は存在出来る・・・はず。多分。
以上。
PS
そういえば、インドネシアの少年の踊りはオーラファーミングと言われていますね。
オーラファーミング(aura farming)や、オーラファーミングをする人を指すオーラファーマー(aura farmer)とは、2024年頃に出来た造語で、「それっぽい雰囲気を出している」という意味で、ネガティブに使われることが多いそう。
あれですね、SNSで「こんなに俺はすごいんだぜ!キラキラしてるんだぜ!」って雰囲気を出してるけど、根っこは何もないというイキってる人のことを指す造語らしいです。
子どもたちにはおっちゃん、おばちゃんになったときに振り返ったときに「な~んもあれへん・・・」という人にならないように頑張って欲しいと思います。
それがまた、その人の魅力を作る一部分になりますので。
頑張りましょう。
あんな人たちに騙されない人生を送るためにもね。
今度こそ、以上。
